ここで、今、感じていることすら、わたしの感情ではないのかもしれません。
小学生頃、飼っていたカブトムシが亡くなったとき、無性に悲しくて、ボロボロ泣いたのを覚えています。あのとき、なんだか気分が盛り上がって、おもちゃのオルゴールまで持ち出してきて、その子守唄のメロディを聴きながら、ずっーと泣いていました。
でも、そうして散々泣いたあとで、ふっと我に返って「そんなわたし」を冷静に認識している自分がいたんです。そう、それを妙にリアルに覚えているのは、本当のわたしが外からみていて、どこか冷静な部分があったから。
わたしが感じていると思っていることさえ、まわりの常識で作られていることがあります。わたしは、わたしの感じることを感じていればいいのに、「普通はこう感じるはず(べき)」という、よくわからない価値観に操られていたりするんです。
カブトムシのために泣いたのは、本当に悲しかったのもあるけれど、どこかで期待された反応を示していただけなのかも?
自分が感じたくない感覚を感じたとき、「もしかしたら、これは自分の感覚ではないかも?」と思ってみると、本当の自分に気がつけるかもしれません。思ったよりもなにも感じていない、思ったよりも影響を受けていない、自然で、ニュートラルなわたしがそこにいます。
『GODDESSES,GODS & GURDIANS ORACLE CARDS』 by Sophie Bashford
陰陽五行による解説
「本当の自分の感情」は「まわり」に影響を受けると書いてみました。陰陽五行では、これは「土」が「水」を剋するということで説明されます。「本当の自分の気持ち」があったとしても、それは「まわりの常識」にハマっていると、そこに影響されてわからなくなってしまいます。そのため、自分で感じていることだと思っていても「これは自分のものではない」と切り離すことが必要なときもあります。
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