劣化すると美化される

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記憶は忘れていくことで、美化されて、癒されていく。

わたしは昔からいわゆる「フラッシュバック」が多かった。ふとした瞬間、例えば車を運転しているときや電車に乗っているときに、なぜだかイヤな記憶がよみがえります。それは「中学校の吹奏楽部のピりついた緊張感」とか「受験の合格発表の日の雨」とか、遠い昔のことなのに、今でもはっきりとリアルなものとして蘇り、思わず眉間にしわを寄せてしまうんです。「フラッシュバック」によって、また新鮮な記憶になっていくから、苦しい記憶は苦しい記憶のまま、上塗りされて苦しみが記憶されていく。

しかし、反対に「フラッシュバック」としてよみがえってこない記憶は、なんだか懐かしく思い出されたりするんです。「高校の軽音楽部の舞台」とか「小学校の給食」とか、そういったものは、イヤな記憶と結びついていないわけでもないけれど、でも「懐かしいなー」と美しく思い出すことができます。

つまり、記憶は忘れていくから美化され、そして癒されていくのです。忘れらないと言っているのは、自分であえて「忘れない」ようにしていて、思い出すということをしょっちゅうやっているから。何世紀も忘れ去られた遺跡が美しくみえるように、自分のなかの記憶もそっとしておいて、後に美しいものとして発掘されるのがちょうどいいのかもしれません。忘れたくらいが、美しいんです。

『The Crystal Spirits Oracle』 by Colette Baron-reid

陰陽五行による解説

動物が「眠る」のと同じで、すべてのものに「休み」は必要です。陰陽五行では「睡眠」「休み」「冬」を「水」に象徴させます。サイクルの「終わり」には必ず「水」があるものです。そのため、「記憶」や「経験」のサイクルの「終わり」も、一度「忘れる」「離れる」ということが必要だとわかります。

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