自分のなかでは当たり前

オラクルメッセージ

自分のなかでは当たり前だと思っていることが、実はとんでもない才能だったりします。例えば、わたしは「映画を見るのは教養であり、当たり前」と思ってきましたが、それがどうやら特別なことだと去年になってようやく知りました。また「本を読むこと」も「文章を書くこと」も「お酒がある程度の量飲めること」も、自分のなかでは当たり前だけど、どうやら才能らしいのです。

自分のなかでは当たり前のことだから、改めて誰かに言うこともないし、能力として発揮することもありません。しかし、それを外の世界に向かって使った途端に、それが実は特別な才能だったということに気づかされたりするのです。

大切なのは、何事にも遠慮しないこと、手加減しないこと。いつも全力で取り組んでいると、自分の当たり前がキラリと光ることが起こります。「お酒がある程度の量飲めること」って、普段から加減することを続けていたら「なんだ、飲めないのかな」で終わってしまいます。でも「しっかり飲む!」とやっていると「お、意外といけるのね!」って飲み会で盛り上がる側になっていきます。「映画をみること」も、時間さえあれば映画を見るから、映画好きな人たちの話についていくだけの知識になります。いつもやりたいように、好きなようにやっているから、その才能が光るのです。手加減してたら、その才能は輝かないし、やがて失われてしまいます。

『DREAM INTERPRETATION oracle cards』 By Luigi Di Giammarino

陰陽五行による解説

自分のなかで「当たり前」になっていることは、もはや「無意識」でもできること。「無意識」は、陰陽五行では「火」に象徴されます。そのため、それを続けていくことは「無意識」をちゃんと使っていくことであり、「火の触媒」をうまく使うことと同じです。しかし、そこで手加減をしてしまうと「火の触媒」は失われ、結果として思うような現実につながらないということになります。自分のなかの「当たり前」を続けることがみそなのです。

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