いつだってわたしの内側にいる存在は、答えをちゃんと知っている。わたしが「わからない」って思っているときも、それは意識で考えようとしているから。本当は答えはわかっているのに、意識的に考えるから、あえて間違った方向を選ぼうとしていたりするんです。答えを知っているからこそ、その逆を選んじゃうって、まわりからみるとすごくおもしろいことをやっていたりします。だから、まわりから「わかってるくせに~」ってツッコまれちゃうんです。そう、本当のわたしは「わかってるくせに」、間違えることで誰かの期待に応えようとしていたのかもしれません。
心のどこかで「できない」「わからない」ってなっていると、誰かが助けてくれるって思っていました。「やろうとしたけど、できない」って、普通に考えればどうしようもないんだけど、それで誰かに助けてもらって、あたたかくまわりとつながることができるなら、それも悪くないって思っていたりするんです。だから、あえてできないフリをして、自分で「わからない」と思い込んで、自分に制限をかけているんです。
でも、全力を出していないことは見ればわかるし、まわりからみればそれはとても気持ちが悪くみえます。最初は助けてくれたとしても「なんでやらないの?」「なんでそうなるの?」となって、だんだんまわりは離れていきます。そして、いつの間にか、助けてもらえるどころか、逆効果になってしまいます。
だから、わたしは目の前の問題に全力で向かっていきます。「できない」とか「わからない」とかなってしまうのは、自分で自分に制限をかけて、まわりに心配してもらうため。答えはちゃんと知っている。どこかでちゃんとわかっている。わかっていることを淡々と続けることが、ここから抜け出す答えになります。
『Sacred Sea ORACLE』 By Justine Serebrin
陰陽五行による解説
目の前の問題に対処するためには「足元」をみるしかありません。「足元」を確認しながら、一歩ずつ動いていくことが問題解決の糸口を探る唯一の方法です。「足元」は陰陽五行では「土」に象徴されます。そのため、すべてを内包する「土」として、実はそこに答えがあるはずなのです。しかし、「わからない」と言ってしまうのは、そこから逃げてしまうから(「木」)。逃げても解決しないのです。
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