一般的には、自分のとって心地のよい関係でいられる相手に「出会うべくして出会った」という感覚があります。いっしょにいるだけで心地よくて、同じときを過ごしたいと思い、「出会うべくして出会った」し、おそらく魂的(霊的)な深いつながりがあると考えるわけです。しかし、本当は、そこに至るまでのありとあらゆる出会いや経験において、「出会うべくして」が発生しているはずです。
なぜなら、そんなステキな出会いがあったとしても、過去の、あの、イヤな経験がなければ、この人にそこまで惹かれることはなかったのかもしれません。この人にそれほど興味を持つこともなかったかもしれないし、そもそも住む世界が違ったり、つながりを持つことすらもなかったのかもしれません。消してしまいたいと思うような、過去の経験のなかでの出会いすら、わたしにとっては「出会うべくして」だったし、それがなければ、今のわたしになることができなかったんです。
すべては「出会うべくして出会う」から、身の周りに起こるすべてのことを、大切にしたいと思います。今はツラいと思うことでも、きっとわたしの糧になって、わたしの未来を輝かせてくれます。すべてはわたしの魂が望んだことで、それに世界が応えてくれた結果なんです。出会うべくして出会ったあなたに、今日も、ありがとうを伝えたい。
『Elemental Alchemist Oracle』 by Nyasha Williams
陰陽五行による解説
「出会い」は「はじまり」なので、陰陽五行では「木」に象徴されます。「出会い」のはじまりは「視覚」からと考えると、「木」が「目」を象徴することとも一致します。「木」は「はじまり」ですが、そこには「きっかけ」があって、「木」の前には必ず「水」があります。つまり、どんな出来事も出会いも、すべて「水」、つまり「魂」的なきっかけがあることを意味しています。
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