わたしはついつい「あのときこうすれば」とか「こうしたほうがよかったのに」と、過去のことを振り返っては、その後悔に浸るということをやってしまいます。そして、そんな後悔の連続のうえに成り立つわたしは、なんて惨めで、どうしようもない存在なんだろう、とぐずぐずになって、消えてしまいたくなってしまうんです。
でも、本当は、誰しもが、そのときそのときで全力で生きていて、その時々に必要なことをちゃんとやっているはずなんです。誰もが、そのときの最善を尽くして生きているはずで、それ以上のことって、必要ないか、そうしないことが今のわたしには必要だったってこと。それがわたしの無意識が作ってくれたシナリオであって、それを受け入れられないのは、わたしの小さな意識で判断しようとしてしまうから。
だから、過去に対してそんな後悔が浮かんできても、まわりからなにかを言われても「それが、どうした?」でいいんです。
「我のみぞ知る」どころか、わたしでさえ、その行き先を知らなくてもいいんです。わたしの無意識が、わたしを一番いいところへ、導いてくれている。そうであれば、わたしの意識が突っ込んだところで「ん?それが、どうした?」ってその程度のことだってわかります。
『Magical Spirit Oracle』 by Alexis Rakun
陰陽五行による解説
「それが、どうした?」という言葉をもって、「無意識」に任せてしまうということを書いてみました。「無意識」は、陰陽五行では「火」に象徴されます。「火」はどこまでも広がり、そしてあたたかいイメージです。一方、ここでの「意識的な判断」とは「金」に象徴されます。「いいか悪いか」という「白黒」で判断することは「金」の「切る」というイメージと重なります。「それが、どうした?」と言うことで「無意識」に任せてしまえば、意識の抵抗をなくして、もっと楽に生きられるようになるはずです。
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