おもしろいことに、この世界では、わたしが信じているものしか、見えないことになっているらしい。見えないどころか、そこにあっても認識できない、あることにさえ気がつかないということみたい。それも自分では、みえていないのか、そこにあるのか、そもそもないのか、すらもわからないわけだから、本当に「ある」と言われても、わたしには理解できないんです。
同じように、それを認識するためには、なんらかの「定義」を自分のなかでもっておくことが必要らしい。「イヌ」と言えば「ワンワン吠える、ペットになりがちな四足歩行の動物で、よく散歩している」というような「定義」があるから、その辺で散歩している生き物に対して「イヌ」だと認識できるわけです。そして、その「定義」は、本当は、個人個人によって違ったりしています。「イヌ」であっても、「食卓にいっしょにあがる」とか「ベッドに入っても汚くない」といったことが自分の「定義」にあれば、そういうものとして扱われることもあるのです。
つまり、この世界は、本当に自分が中心にあって、みるも、みないも、そして、そのモノの「定義」も、自分が決めているということです。それが、この世界のすべてなんです。捉え方とか、考え方とか言うけれど、頭で考えるようなちいさな話ではなくて、世界自体を自分で決めているんです。だったら、自分の都合のいい世界をみていたいじゃあないですか!
『Guides of the Hidden Realms Oracle』 by Colette Baron-Reid
陰陽五行による解説
「世界」は、わたしのまわりの「枠」のことです。それはわたし個人の「枠」であり、陰陽五行では「土」に象徴されます。「土」は、「木」=「思い」の表出なので、やはり、わたしの「思い」がどうあるかが「世界」を決めているといえます。

コメント