ポジティブに考えているつもりでも、深く掘っていくと、ネガティブなセルフイメージが隠れていることがあります。例えば「誰かの役に立ちたい」というのは、すばらしいことですが、その背景には「自分の価値が低いから」という思いが隠れていたりするのです。
わたしは中学生の文集に、まさに「人のためになることをする」と書いていました。将来の夢を書くところだったから、みんな「サッカー選手」とか「公務員」(現実的!)とか、それぞれの憧れを書いていた。わたしにも夢みたいなものはあったのかもしれないけれど、なんだか恥ずかしいと思っていたし、それにもまして「誰かの役に立てれば、それで十分」だと思っていたんです。そう、それは逆にいえば、自分には自分の夢を叶えるだけの価値はなく、この人生を誰かのために使うほうがいい、という考えがあったわけです。
つまり、「人のために」って行動しようとすることそのものが「わたしの価値は低い」ということの証明になってしまっていたんです。
でも、本当は「人のためになることをする」こと自体に問題があるわけではありません。ポイントは、それをやっていて、自分が本当に楽しいのかってこと。楽しめているなら、それでいいんです。でも、自分を犠牲にしてまで、誰かに尽くすことはナンセンスとしか言いようがありません。自分はどんどん価値が下がるし、相手もどこかでその心苦しさを感じたりするんです。本当の「楽しい」でやっていることは、関わるみんながハッピーになれるものです。
『The Witching Hour Oracle』 by Cherie Gerhardt
陰陽五行による解説
「ネガティブ」が隠された「ポジティブ」には、「緊張」がくっついています。「緊張」するとうまくいかないことも増えるため、「リラックス」して取り組めるほうがいいというのです。「緊張」と「リラックス」は、「木」と「土」で説明されます。「土」というのは「泥遊び」のように「埋もれて」楽しむことを象徴しています。

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