「思い込み」は想像以上に自分を縛りつけ、場合によっては制限をかけていることもあります。
わたしはずっと「私は朝が苦手で起きられない」と思い込んできました。小学生~中学生のころは、親に怒られずに朝起きられることはまずなかったし、高校生のときも起きられず、昼間でも眠たくてたまりませんでした。大学生になっても「あなたは起きるのが苦手だから」と車を買うことも、親に許してもらえませんでした。(大学は車がないと生活できない場所にあって、そこの学生の車保持率は全国一位だったのですが。)
そうやって長年かけて作られてきた「思い込み」は、本当にわたしのことを「朝が苦手な人間」にしてしまっていたのです。ここで過去形で書いているのは、今はそうではないからです。不思議なことにいつのころ(出雲大社に行ったから?)からか、朝起きるのがとてもスムーズになりました。意識しなくても勝手に目が覚めるのです。もしかするとこれって、普通のひとにとっては当たり前のことかもしれません(笑)
自分のなかの「思い込み」には、自分ではまず気がつくことができません。しかし、今、自分がしていること、やろうとしていること、やりたいと思っていることに対して「本当にそうなの?」とちょっと確認してみるとおもしろいかもしれません。それはすでに「思い込み」によって制限された狭い考えになっていたり、親の価値観に従ったやり方になっているのかもしれません。そういうものをクリアにして、本当の自分の気持ちにつながったとき、本来の自分の輝きを取り戻すことができます。
「思い込み」から解放されて、自分では「できない」と思っていたことが「意外と簡単」になってしまうのです。ふとアイデアを思いついたとき、いつも通りの行動をしようとしたときに「思った以上に思い込み」と思ってみると、これまで狭かった世界が無限の世界へと広がって、本来の自分のパワーが発揮できるようになっていきます。
陰陽五行による解説
「思い込み」はこれまで生きてきた「常識」、多くの場合は「親の価値観」によって作られているものです。「常識」「親の価値観」は自分を縛る「枠」であり、これを五行では「土」で象徴します。「土」は「育てるが、腐らせる」という性質を持ち、たしかにそれによって現実に生きる能力を得たのかもしれませんが、そこにとどまり続けることは自分を腐らせてしまうことになるというわけです。
ここから抜け出して、本来の自分を取り戻すには「浄化」のパワーが必要であり、これは五行では「金」に象徴されます。「金」は「土」の次の要素にあたり、「金の触媒」として「土」の世界観から抜け出すことを手伝ってくれるのです。
日常レベルでの「金」は「気づき」です。ですから、いつも通りのことをほんの少しでも「疑って」みることで、小さな「気づき」を得ることができれば、世界の常識はひっくり返ります。また、本文に登場した「出雲大社」は「金」の象徴が含まれる神社です。
「思い込み」は抜け出してはじめて、その狭い世界にいたことに気がつきます。できればもっと早く気づきたかったと思うこともありますが、それもタイミング。ステキなタイミングで「気づき」がやってくるものです。
コメント