むかし、散髪屋さんの予約の電話で「今日か、明日か、明後日であいているところならどこでもいいです」といいました。すると、電話のむこうは困った声で「えーと、それは決めていただかないと。。。」との返事でした。
今となっては「そりゃそうだろ!」と自分にツッコミたくなるのですが、しかし、そのときには「急に電話して申し訳ない」などと考えてしまって、謙虚な態度で接していたツモリだったのです。そして、この「謙虚さ」の姿勢は、究極のところでは「こんな自分に時間を割いていただいてすみません」という、とても根っこの深い「自己否定」につながっています。
すばらしいものだと教えられてきた「謙虚さ」を実行しようとするあまり「自己否定」になってしまうと、自分のことを「こんな自分」と蔑んでしまいます。その結果、自分と一緒にいてくれるひとに対しても「こんな自分につきあってくれるひと」ということで、本人には自覚はなくても、まわりのこともバカにしたり、見下すようになったりしていきます。そうすると、本人だけが理由もわからず、まわりはどんどん離れて行って、本当に惨めな姿の自分になっていってしまうのです。人間関係も仕事もうまくいかない負のスパイラルにハマります。
ですから、自分のことはちゃんとねぎらってあげましょう。大切な大切な自分です。その大切な自分につきあってくれるひとだから、その相手のことも大切に思うことができます。「謙虚さ」はそんなお互いを尊重できる関係のなかに宿ります。「自己否定」では何も生まれることがないのです。
『Archangel Gabriel Oracle Cards』 by Doreen Virtue
陰陽五行による解説
言葉でいう「謙虚さ」を実行しようとする姿勢は、その「思い」だけが先行しており、態度は伴うものではありません。理想の形は知っていても、その内面の状態がわかっていないので、真に実行することができないわけです。この状態は、陰陽五行では「木」に象徴されます。「思い」がすべてで、行動や現実が伴っていないからです。
一方、本当の「謙虚さ」は「態度」からにじみ出てくるものです。真に「謙虚」なひとは意識してやっているわけではありません。ただ「そうある」だけです。それは、ただ「今の自分」でいるだけですから、陰陽五行では「土」の象徴になります。
また「自分を大切にする」ことは「火」の象徴です。自分を大切にして、ねぎらうことは、あたたかいイメージです。本当の「謙虚さ」は「土」ですから、「火生土(かせいど)」の関係になっていて「自分を大切にするからこそ、謙虚でもいられる」ということがわかります。
ちなみに、英語で「謙虚さ」は「humility」であり、「hum-」は「泥」を意味するので、やはり「土」に通じているものがあることがわかります。
コメント