「躊躇」するのは私じゃない

オラクルメッセージ

なにかをはじめようとして、躊躇してしまうのは自分の感覚ではありません。自分がやろうと思ったことに対して、あれこれツッコミを入れたくなって「躊躇」してしまう時点で、自分ではない、ほかの誰かの感覚に囚われている状態です。

「あの人に声をかけてみたいけれど、嫌がられたらどうしよう。」は、自分が嫌われてしまう、あるいは醜い存在であるということが前提になっています。でも、その感覚って元をたどれば親から言われた「またこんなに汚して!」とか「そんなことしてたら友達に嫌われるよ」という言葉だったりするのです。

「これをやってみたいけれど、うまくできなかったらどうしよう。」は、完璧にやりたい、失敗が怖いということです。本当は、経験しなければ失敗も成功もありませんし、うまくいくかどうかなんて最初からわかるはずもありません。ここでも、親から言われた「あんたは失敗ばかりして!」とか「できないならやらないほうがいい」というような言葉によって、うまくできないことに過剰に反応してしまって躊躇していることがわかります。

ほかにも様々な場面で、違う誰か(親、友達、元カレ・元カノ、夫・妻などなど)の言葉に縛られて、自分という人間の感覚だと思い込んでしまっています。「やる気がない」「だらしがない」なんていうのも、相手から入れられた暗示だったりするのです。なにかを躊躇するのは、ほかのひとから入れられた最たる感覚のひとつです。

やろうと思いついて、躊躇するのは自分の感覚ではありません。自分はやってみたいから、やってみたいと思ったのであって、それだけがすべてなのです。自分の人生を生きるために、やりたいことはやりましょう。もう、躊躇する必要はありません。やりたいから、やる!それだけでいいのです。

『DREAM INTERPRETATION oracle cards』 By Luigi Di Giammarino

陰陽五行による解説

「躊躇」というと、泥にすっぽりとハマった足が動かなくなっているような感覚になります。「二の足を踏む」というというのも、まさにそんな感じです。「泥」にハマっているというのは、陰陽五行でもその通りで、他人の感覚の「枠」のなかに入れられているわけなので「土」にハマっているということです。

「土」にハマっているから、「土剋水(どこくすい)」の関係で「水」がやっつけられて、自分の本質、自分が本当にしたいことや本当の自分の在り方が邪魔されていきます。そのため、本来の自分が発揮できなくなって、どんどん苦しくなっていくのです。

ですから、それは自分の感覚ではないということに気がつくことが重要です。自分ではないと気がついて、そこから抜け出すということを考えると、自然とそこから抜け出す流れが作られていきます。そして、本来の自分の姿に戻っていくことができるのです。

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