「情けは人の為ならず」って、小学校低学年くらいまでは「人に情けをかけることはよくないこと」を意味するのだと思っていました。ちょっと勉強が進むと、それは「人に情けをかけることは、相手のためだけではなくて、結局自分のためである」と学んできました。たしかにそうだなと思って、できるだけ他人に尽くすことを考えるようになっていったわけです。しかし、そこにももうひとつ落とし穴がありました。
世の中の流れは、結局のところ、大きなエネルギーの流れです。自分が発したエネルギーがめぐりめぐって、自分のまわりの事象を創り上げていきます。それが他人に対する接し方として言及されたとき、「情けは人の為ならず」という言葉になるわけです。大切なのは、自分の発したエネルギーがそれとなんらかの形で交換されていくということ。だから、このときに、へんなエネルギーが混ざると、へんなもので返ってきたりするのです。特に注意すべきは、自己犠牲や義務感、恐怖感など、マイナススタートのエネルギー変換です。マイナスはマイナスなので、マイナスなものに交換されてくるということになるわけです。
ですから、「情けは人の為ならず」と言ったとき、それが自己犠牲的なものだったら、やはりマイナスのエネルギーがめぐってきて、なんだかイヤな気分になって終わりということになります。わたしはずっとそうでした。でも、それをかけられる相手もそんな気持ちになっているわけですから、そもそも自己犠牲がよくないのだとわかります。やはり、基本は自分が満たされている、ということです。自分が満たされているから、まわりにもやさしくできたり、情けをかけるということができるようになります。自分が満たされているから、満たされたエネルギーが、世界をめぐりめぐって、めぐってくるのです。
『AVATAR ORACLE』 by Nari Anastasia
陰陽五行による解説
「エネルギー」は「目にはみえない」ので、陰陽五行では「水」に象徴されます。「水」は「流れ」であって、次の「可能性」「はじまり」につながっていきます。「水」があった結果として「木」の「はじまり」となるわけです。そのため、「自己犠牲」があったゆえに、「はじまる」ことは、やはり「自己犠牲」に続くものでしかないということになります。
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