ずっと親の顔色をみながら、自分の行動や発言を意識してきたわたしは、なにをするにもどこかで親の視線を感じながら動いていました。自分ではそこまで考えていないつもりでも「わたしが~すると親はどう思うだろうか」とか「こんなことをしたら親が悲しむかもしれない」なんてことを常に考えてしまうんです。
だから、普通の会話として、誰かと話すときにも「こんなこと言ったら、どう思われるかなぁ」と考えているのは当たり前。できるだけ誰からも嫌われないように、誰に対しても当たり障りのない言葉でやりとりとしようとしてしまいます。でも、そうしようとすればするほど、わたしはわたしではない誰かを演じることになってしまって、どんどんおもしろくない人間になっていきます。そして、まわりからだんだんとひとがいなくなっていくのです。
本当は、適当なことをしゃべってればいいんです。「他人の顔色を伺う」って、普通のひとはそんなにやっていないらしいですネ。だって、楽しくおしゃべりするときには、そんなの必要なくて、ただ適当にお話しているだけ、その場を楽しんでいるだけですから。もっともっと適当でいい~んです。「そんなことしたら嫌われちゃう」って、実際には逆で、結果的に本当にわたしとつながりたい人とちゃんとつながるようになっていきます。
『Wishcraft Oracle』 by Stacey Demarco
陰陽五行による解説
「親の顔色を伺う」ことは、「いいか悪いか」の判断をしてしまうことなので、陰陽五行では「金」に象徴されます。「金」はなにかをはっきりと分断すること、つまり「白黒思考」の象徴でもあります。「金」の状態は、なんでも「いいか悪いか」でみてしまううえに、自分はがっちりとして動かないという状態になるので、友達のことを裁いてしまったり、自由な発想で楽しむということができなくなってしまいます。
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