今、この瞬間に「右手をあげる」ことを選択したとします。このとき、自分では自分で「右手をあげる」選択をしたと思っています。しかし、実際には、先に体が動いてから、そこに理由付けをしていることがわかっています。今の脳科学では、動かそうとする意志の領域よりも先に、動かす機能の領域が活動し、結果として「わたしが動かした」と解釈されているわけです。
そうすると、この「右手をあげる」という意志がどこから来たのか、どうしてそういうことをしようとしたのか、どこまでも遡っていけることになります。ここで「右手をあげる」ことは、無意識のうちに決まっていて、意識はそれを後追いしているだけだから。これを「能動的意志の無限後退」といいます。自分の意志の出所を考えると、どこまでも遡ってしまい、遥か遠いご先祖や果てはビッグバンまで考える必要が出てくるのです。
ここで大切なのは、そうしようと思ったことは、なにかの目的があったわけではないということ。いや、少なくとも、自分の意識では認識できない目的があるということです。だから、この動きの目的を考えること自体がナンセンスなのです。体はそう動こうと思った、だけど、理由も目的もわからないが正解なんです。目的はあとで振り返ってはじめてわかります。
『Oracle of Mystical Moments』 by Catrin Welz-Stein
陰陽五行による解説
陰陽五行では「思い」=「木」の前に必ず「水」があります。「水」の前には「金」があって、前の行動の結果、なにかが生まれてきて、「思い」も変化していくと説いているわけです。つまり、「思い」がスタートではなく、その裏にやはり意識されない別のモノがあってはじめて、行動へとつながっていくことがわかります。
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