実家のトイレののカレンダーに「いいことはおかげさん、悪いことは身から出たサビ」って書いてありました。当時は、それを大切にしたい言葉のひとつだと思っていたし、それは当然のように家のなかで使われていました。だから、祖母に言わせれば、わたしが受験に失敗したり、テストの点数が悪かったりするのもすべて「身から出たサビ」。親に怒られること、自分がツラい思いをすることはすべて「身から出たサビ」だから、わたしはどんどんサビまみれになって、自分の輝きなんていうものはどんどんなくなっていってしまいました。
しかし、ここで考えたいのはそもそも「いいこと」も「悪いこと」も区別する必要すらなかったってこと。物事が起こるのは、常に中立であって、それに意味付けをするのはこちらの主観です。だから、そこにあえて「悪いこと」ってネガティブな意味付けをすることは必要ないわけです。さらに、このとき「悪いこと」にされていたのはあくまで「祖母の価値観に合わないもの」でした。祖母の考えと反対のことをするから怒られるし、裁かれてしまう。それって、自分を否定する以外の何ものでもないから、自分の輝きはどんどん失われていって当たり前。わたしがサビまみれになっていたのは、裁かれて罪人になっていたからで、本質的にサビまみれになっていたわけではないんです。
今、改めて思うのは「身から出たサビ」なんてないってこと。それも、すべては「おかげさん」。たいへんな目にあったときこそ、そこにネガティブな意味を見出す必要なんてないし、自分の罪にする必要もありません。ただ、それが「起こった」だけ。それはすべてわたしのために、そこからなにかを学ばせるために、起こるだけに過ぎないのです。
『Angelic Activations Oracle』 by Kyle Gray
陰陽五行による解説
目の前の「現実」には、どういう形であっても「高次の存在」が介入して、その結果が反映されています。これを陰陽五行では「火」の触媒があって、はじめて「土」=「現実」につながると表現します。自分のなかに「思い」があって、それを「現実」に向けるとき、そこには必ず「高次」の介入がはたらきます。それを意識できるかどうかということも、それを受け取れるかどうか、ということそのものになります。

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