なにをするにもずっと誰かにみられているような感じで、なんだかビクビク、身動きの取れないような感覚になってしまうことがあります。自分でやりたいと思ったことでも、どこかで「これはいけないことなのでは?」と考えてしまうから、結局なにもせず過ぎていくんです。それで、どれだけのチャンスを失ってきたか!
小さい頃から、祖父をはじめ、ご先祖様が見守ってくれていて、常に神様はみてくださっていると教えられてきました。それは罰のためであり、そしてご褒美をくれるためだと。だから、悪いことをしたらバチがあたるし、いいことをすればいつか報われる、と。でも、わたしがどれだけ苦労しても報われることはなかったし、そもそも悪いことと、いいことの区別なんだろうって考えると、この神様に疑問がわいてきます。
わたしは目が悪いから、家ではテレビもゲームもほとんど禁止でした。なので、テレビを見るのも、ゲームをするのも悪いことです。つまり、それは、テレビもゲームも、やればやるほど不幸になるということ。でも、まわりを見渡すと、テレビを見る子のほうが成績がいいし、ゲームをする子は、どんどん次のゲームを手に入れたり、友達を家に呼んだりして、豊かになっていくんです。神様が見ているというなら、テレビもゲームも禁止している、わたしが一番豊かなひとになってないとおかしいじゃないですか。
お気づきかと思いますが、ここで神様と思っていたのは親であり、そして、世間です。神様のためといいながら、わたしが気にしていたのは親の目であり、世間様の目です。「目が悪い子にゲームをさせない」のは、世間の常識であって、普遍的なルールではないのです。わたしは知らないうちに、世間様をお祀りして、それに愛されることをしようとしていたわけです。それでは、本当の神様と出会えるはずもありません。
『THE DRAGON RIDERS ORACLE』by Christine Arana Fader
陰陽五行による解説
「世間」は陰陽五行では「土」に、「神さま」は「火」に象徴されます。「土」に従うことは「枠」のなかでは評価につながりますが、そこには「愛」はありません。「土」の「枠」のなかでは「自分への愛」すら、否定されてしまうから、自分を「認める」ことできなくて、やりたいことができないという状態になっていきます。
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