自分のなかで当たり前と思うからこそ、そこに才能と強さがあります。自分の才能なんてわからないと思ってしまうのは、どこまでいっても当たり前だし、たいていは、そのまま発揮できるものと思っていないから。自分にとっては当たり前すぎて、その使い方がよくわからなくなっちゃうんです。
才能がありすぎると埋もれてしまうのは、そういうこと。自分の当たり前を、誰かに認めてもらってはじめて見いだしたりするけれど、それがなければ気づくこともなかったりするわけで。
でも、大切なのは、才能がないと思っているからこそ、まだみつかっていない才能があるってこと!自分の才能は、当たり前のなかにあるから、普段の当たり前のなかに必ず才能が隠れているんです。
わたしの才能ってなんだろう?当たり前にできちゃうことってなんだろう?その当たり前のなかにこそ、無限の可能性があります。
『The Archangel Michael Sword of Light Oracle』 by Radleigh Valentine
陰陽五行による解説
「当たり前」になっていることは、すでに陰陽五行における「土」という自分の「現実」に落とし込まれているということです。そのため、そこにはすでに「火」の触媒を受けているわけで、自分のなかでも認められていて、発揮されているものであるということになります。つまり、それに気がつくことができれば、それは自分だけの才能としてさらに広げていくことができるのです。
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