自己犠牲で「救いの神」を演じると、相手をダメにして、支配していく。
わたしは長いあいだ、相手が困っていたら助けてあげたくなるのは当たり前だし、自分のことを犠牲にしてでも、助けてあげたいと思うのが普通だと思っていました。
中学校の修学旅行のとき、班決めで、余ってしまったひとたちをなんとかしてあげようと、最初から誰とも組まないで、あえてボーっとしていました。それであとから班が決まったら「最悪の班だ~」ってショックを受けて、まったく楽しめません。自分で決めたことのはずなのに、苦しいだけで、なにも得られない、おもしろくない。それでいて、そのイライラみたいなものをまわりにぶつけて、結局、支配してしまう形になっていたんです。「なんでわたしがこんなにしているのに!」って。さらに、「こいつらはできないから」みたいな暗示をかけて、どんどんまわりをダメなひとにしてしまうわけです。
ですから、そもそも自己犠牲をして、救ってあげるという発想がおかしいということに気がつくことが必要です。自分も人間だから、どうやったって「救いの神」になることはできないし、本当の意味で、みんなが救われる状況を作り出すことはできないわけです。
だからこそ、自己犠牲はしない!そして、自分がまず楽しむこと!それが、まわりのためでもあるんです。
『Mists of Avalon Oracle』 by Rose Inserra
陰陽五行による解説
「自己犠牲」することは「まわりのこと」を考えてすることです。「まわりのこと」は、ある種の「枠」であり、陰陽五行では「土」に象徴されます。しかし、そのため、それを繰り返すことは「土」にハマっていくことであり、自分も相手も「枠」にはめていく、すなわち、暗示でダメにして、支配していくことになるのです。
コメント