いくら誰かに憧れたところで、そのひと、そのものになることはできません。どれだけ近づいていったとしても、そのひとと同じところに立つことはできません。なぜなら、その場所は、その人だけの特別な場所だから。それがそのひとのアイデンティティだから、わたしとはまったく違う存在なんです。
だから「わたしがダメ」というのではなく、だからこそ、わたしにはわたしの場所があるということです。相手の持っているもののほうがよく見えるというのは、動物が進歩するために獲得してきた視点ですが、それに囚われて、自分の立ち位置を見失ってしまうと、次の踏み出し方がわからなくなってしまいます。憧れのあの人は、そこに至るまでいろんなことを経験してきて、そこに立っています。わたしもいろんなことを経験してきて、ここにいます。その経験は、ひとりとして同じものはなく、そこから、わたしとあなたは違う存在として、ここにいることができるのです。すべてが同じ存在がいるとしたら、相当不気味ですね。
そして、その憧れに近づくためには、少しだけマネしてみることです。憧れの存在のマネを少しだけ取り入れてみると、それがいかにスゴイことかよくわかります。自分にもできそうだから、その存在に憧れたのに、実際にマネしてみると、その背後にある経験とか感覚の違いがはっきりと実感されてくるのです。そして、そこで差を感じてみると、さらにリスペクトして、憧れの気持ちを持つことができるようになります。さらに、そのリスペクトは、相手を超えて、自分へのリスペクトへと変わります。わたしはわたしで、がんばってきた。わたしのいろいろな経験は、きっと誰かの役に立てると、改めて思うのです。
『Portraits of a Woman, Aspects of a Goddess: Inspirational Cards』 by Riccardo Minetti
陰陽五行による解説
「自分の立ち位置」は陰陽五行では「土」に象徴されます。「土」はほかの方向をきめるための「真ん中」「基準点」になるところであり、ズレることはありません。そのため、どれだけ憧れたとしても、そこ自体に入ることはできないわけです。しかし、その要素を混ぜ合わせることはできるわけで、少しマネをして触れてみることで、その奥深さを実感することができるのです。
コメント