わたしの人生がひとつの映画だと考えてみるとおもしろい!主役と監督はもちろんわたし自身。主役のわたしが、そのほかの登場人物たちとどういう関係であって、どれだけ関わっていくのかどうかは、監督であるわたしが決めていいわけです。
だとすると、このひとたちとの関わりにそれほどスポットをあてて、長いセリフをしゃべらせて、この映画の見どころに設定するのか?って話。自分の人生にとって、それほど重要な扱いをしたくない人物だって、モブキャラとして登場させないと、映画としてのボリュームが下がってしまう。だから、登場してくるし、それが成長のための伏線になっていたりするのかもしれません。だけど、そこは見どころじゃないでしょ?わたしの人生を映画として描くなら、当然、幸せな瞬間とか、楽しい瞬間とか、そこを引き延ばして、ステキな作品にしたいじゃない!
わたしに対して、イヤなこと、聞きたくないことを言ってくるのは、しょせん人生のモブキャラです。「わかった、もうセリフはあげない!」って、監督として、切ってしまえばいいですね。そんなひとたちのセリフをグルグル頭のなかでリピートするのも、最悪の演出です。もう、モブキャラに、セリフはない!
『Wishcraft Oracle』 by Stacey Demarco
陰陽五行による解説
人生を映画としてみることは、視点を変えるということで、陰陽五行の「金」の触媒として考えることができます。「金」の触媒は、「土」にハマってしまったところから、抜け出すためのきっかけであり、ここで「今のわたし」を客観的にみることを学んだりします。映画として人生を捉えなおすことで「今」からわたしを切り離し、本当はどうしたいのか、その「本質」に触れることができるようになるわけです。
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