自分がやりたいと思うことがあっても、それを親に説明して納得してもらわないといけなかったわたしは、未だにやりたいことの理由を、言い訳のように考えてしまいます。有名なところでは「みんなも持ってるから~」みたいなやつですね(笑)。
今のわたしにとってのその言い訳は、あとでお金につながるからとか、誰かに必要とされているからとか、結局、「自分がしたいことって?」とハテナになってしまうようなことを考えてしまっているんです。でも、そんなことを考えている限り、自分が本当に満たされることはないし、そうやってしていることってまわりからみても、逆にありがた迷惑になっていたりするんです。
自分のやりたいことに理由はいらないし、言い訳もいらない。ただ、今、そうしたかったからって、ただそれだけでいいはずなんです。それが誰かの役に立つことならうれしいし、でも、それも偶然か、運命的なめぐりあわせの上に成り立っている。ひとついえるのは、言い訳しようと考えている時点で、自由な発想は阻害されているし、そこに本当の自由はないってこと。
言い訳もなにも考えないなら、本当はどうしたいんだろう?
『Goddess Love Oracle』 by Wendy Andrew
陰陽五行による解説
「理由なしに認める」ことは、「火」の触媒になります。それは自分に対しての最大限の愛なのです。一方で、誰かに対しての言い訳を考えることは、あくまでも「枠」=「土」的な思考に基づくものであり、それは「自由」=「木」とは反対の関係にあることがわかります。

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