なぜだか、信じちゃいけないひとを信じてしまうときがあります。本当は、そっちに行くべきではないのに、なぜか間違ったほうを選んでしまって、後から「こっちだったのに~」ってなるんです。実際には、信じるべきひとが近くにいて、そちらを信じていれば、問題は起こらなかったってよくあります。
信じちゃいけないひとを信じてしまうのは、「静か」ではないから。信じちゃいけないひとといっしょにいるときって、ざわざわしたり、雑音にまみれているって感じになります。だから、その雑音のなかで、自分の傷をみなくて済むんですね。自分の傷がみえないから、痛みがないように感じてしまって、そっちの方を信じてしまう。
反対に、本来信じるべきひとは、いっしょにいると「静か」になっていきます。ざわざわしないし、別に言葉なんてなくてもいいと思えてくる。「しーん」とした静けさのなかに、本来の信頼感と安心感があるんです。しかし、そこでは「静か」であるがゆえに、自分の傷が騒ぎ出します。なんだかもぞもぞしたくなって、その静けさに耐えられない感じがしてきてしまうんです。だから、こっちよりも、信じちゃいけない方を選んでしまう。
本当に、わたしに必要なのは、自分とレベルがあうひとで、静かになっていくひとです。いっしょにいても、なにかしゃべらなきゃとか思うことのないひと。沈黙のなかで安心感があって、それだけでいいと感じられるひと。静けさこそ、あなたが本当に信じられるものです。
『Guardian Angel Oracle』 by Debbie Malone
陰陽五行による解説
「自分の傷」と向き合うことができないから、それを避けようとしてしまうと書きました。「自分の傷」と向き合うことは、「シャドー」との対峙であって、これは「金」に象徴されます。「金」は「なにもないこと」つまり「静けさ」のことでもあり、そのため、そこで「シャドー」との対峙が起こるというのです。そして、それが怖いから、そこから逃げてしまうのは「土」の引力であるとも説明できます。

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