「愛」を「愛」という言葉にしてしまうから、なにかそういう特別な意識状態があって、それは特別な人とのあいだで、特別な条件が必要なものだと思ってしまいます。しかし、愛とは無限であり、意識できるものでもないはずです。
この世に生を受けたひと共通の、親からの「愛」を考えてみると、そこに理由はいらないし、意識して「愛」と表現する必要もないでしょう。もし複雑な家庭環境であったとしても、本当は「愛」を感じたことがないというわけではなく、それが「意識」で捻じ曲げられてきたから、おかしな伝わり方をしているだけです。つまり、「愛」は「意識」の状態ではなく、むしろ「無意識」のなかにあるのです。
意識されない部分で感じる「なぜだかこうしていたい」、「この状態が心地いい」、そんな状態を「愛」と呼んでみると、それがどこにでもある当たり前のことで、実は世界は「愛」に満ちているということに気がつくでしょう。いつもありがとうございます。それも、これも「愛」です。
『Mystical Shaman Oracle』 by Alberto Villoldo, Colette Baron-Reid
陰陽五行による解説
「愛」は陰陽五行では「火」に象徴されます。「火」はそのまま「無意識」を象徴するものでもあるため、説明不要で「無意識」と同じということになります。
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