どうしてもやりたいと思ってやろうとしていることが、直前になって、とても「面倒」だと感じてしまうことがあります。旅行の予定をしていても、直前で「面倒」が出てきてギリギリまで準備を始めることができません。また、友達とご飯に行く約束をしたのに、家を出ることも「面倒」になって、ドタキャンしてやろうかと思ってしまいます。読みたかった本も、いつのまにか本棚の端っこでホコリをかぶってしまいます。
この「面倒」という感覚に対して、長い間、「やろうとしていることが、本当はやりたいことではなかったから、こんな感覚になるのだろう」と思っていました。しかし、どれだけ楽しみにしている予定であっても、そんな風に考えてしまうし、自分のことを中心に考えて行動するようになってみると「あれ、どうも違うぞ?」と自分の本心を探ることができるようになってきました。
なにをするときにも「面倒」の裏側には「変わりたくない」という本心が隠されています。人間の無意識には恒常性(いつも同じであろうとすること)がプログラムされています。そのため、自分にとって変化を起こすような体験はできるだけ避けたいと感じるようになっているのです。つまり、その予定が「面倒」だと感じてしまうのは、そこに「変化」や「成長」のきっかけがあるからに他ならないのです。
楽しみな予定なのに「面倒」だと感じたら、それは自分が成長できるチャンスです。そう考えると、あちこちに成長のチャンスが転がっていて、自分はどれだけ成長してしまうのだろうと楽しみになっていきます。そのチャンスは常に与えられています。それにブレーキを踏んでしまうのは、実は、わたしのほうです。
直前になって「面倒」と感じた時こそ、自分の世界をひっくり返すチャンスが隠されているのです。
陰陽五行による解説
「変化したくない」という感覚は、基本的に無意識にはたらいているものなので、言語化すると「面倒」とか「実は嫌だった」というような「言い訳」じみた言葉になってしまいます。しかし、その奥に隠された本心をみていくと、本当はちゃんと「やりたかった!」ということがわかるのです。
この「変化したくない」ということを陰陽五行では「土」の引力に引っ張られると説明しています。「土」は「育てるが、腐らせる」という2面性を持つ「枠」のようなイメージで、変化を求めるときにも、いつもここに引き戻される「恒常性」も象徴しています。わたしたちがいくら変化を求めても「肉体」を捨てることはできないことも「土」に縛られていて、その引力の力です。また、子供が独り立ちしようとするときに限って、「親」が余計な口出しをしたりすることも「土」の引力です。「親」のところにずっといてしまうと、人間として腐っていくのはわかりやすいと思います。
ですから、この「土」の引力に引っ張られることで、常に「成長」や「変化」に対する抵抗があることを覚えておいてください。「面倒」という感覚はまさに「土」にはまっているときです。そこから抜け出すためには「面倒」と思うからこそ、意識的にやってみることを選択することです。動いてみれば、現実は変わっていきます。「土」からいったん抜け出すことができるのです。(「土」は常に付きまとうので、完全に抜け出すことができるわけではありません。次の「枠」に移るだけで、またそれも越えていく必要があります。)
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