いつも自分のまわりにはズルい人たちが寄ってきて、自分が大切に育ててきたものやがんばってきたものをサラッと奪われてしまうような感覚があります。いつのまにか自分は損な役回りを押しつけられて、すべてを失っていくような気がしてしまうのです。
どこにいてもそういうことがあるので「自分はなんて運がないんだろう」とか「世の中にはズルいひとしかいないのだろう」というふうに考えてしまっていました。しかし、世の中にはもっとうまくやっているひとたちもたくさんいるし、奪う・奪われるの関係だけのはずがありません。ということは、もしかしたら自分の側になにか問題があるのかもしれません。
ズルいひとに囲まれてしまう原因は、自分を自分で大切に扱っていないからです。いつも自己犠牲的な精神で相手に尽くしてしまうから、そこに付け込まれてしまうようなことになります。ズルくなってしまう相手も、別に「利用してやろう」というような悪意はないでしょう。しかし、あまりにも自己犠牲的な行動ばかりが目立つと「この人にとってはこれが普通なのか」と判断され、それを好きでやっていると思われてしまい、結果としてさらに自己犠牲的な動きが増えていくのです。
ですから、ズルいひとに出会ったら、それは自分が自分を大切にできていないことを教えてくれるサインです。自分のやりたいことができていなかったり、長いこと休みをとっていないのかもしれません。いずれにしてもいったん忙しさから離れて、自分の心の声に耳を傾けることが必要です。自分にやさしくしていると、いつのまにかズルい人たちはいなくなり、わたしを大切にしてくれるひとたちに囲まれていきます。わたしは、なにも気を遣わず、普通にしていればちやほやされてしまうのが、本来のあり方なのです。
『Oracle of the Dragonfae』 By Lucy Cavendish
陰陽五行による解説
自己犠牲的な行動をとってしまうとき、それは自分に対する「愛」が足りていないということになります。「愛」の不足は、陰陽五行では「火」の不足と表現します。「火」が不足すると「木」と「土」をつなぐことができないので、「木」の「思い」と「土」の「現実」が乖離した状態になってしまいます。「木」と「土」の乖離は、ありのままの事実のきちんと認識できないようにしてしまうのです。
そのため、自分の周囲の状況がうまく認識されず、いつのまにか自分で「ズルいひとたち」のなかに入っていくことになります。また、そのなかで「自己犠牲的な行動」を繰り返してしまうため、それが自分の「思い」となり、その「現実」が作られていってしまうのです。
自分を大切にすることは、自己犠牲的な行動をやめるだけでなく、「火」の存在を自分に与えることになります。これによって「木」と「土」がつながり、ちゃんと世界を認識し、自分の本来のあり方に気づいていくことができます。
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