「失敗」って、とてもイヤな感じがします。だから、なにをやるにしても、いろんなことを想定して、どんなことが起こっても大丈夫なようにしっかりと準備をしてからはじめたくなります。しかし、すべてのことを想定しておくことは不可能ですし、また想定したことしか起こらなければ、行動したことによるミラクルも起こらないことになります。そのため、常に「失敗」を想定したり、それを避けようとしすぎたりすることは、結果としてうまくいく可能性をもっと遠ざけてしまうのです。
そもそも「失敗」とはなにか考えてみます。例えば、わたしは大学受験に「失敗」して、浪人を経験しました。1年浪人して勉強した結果、翌年には大学に入ることができて、無事に卒業したので、今があります。今なら、この浪人時代で学んだことが今もわたしを支えてくれているし、普通のひととは違う経験をしたということがわかっています。そういう意味では、ひとことで「失敗」ということもできないような気がします。しかし、この経験は、当時のわたしを深く傷つけ、そして長い間わたしのなかで「失敗」でした。
最近になってようやく「失敗」の正体がわかってきました。「失敗」とは、わたしにとって「母親を悲しませること」となっていたようなのです。「大学受験」での「失敗」は、試験がダメだったということよりも「母に申し訳ない」「母が世間からどうみられるか」という「母親」ベースで考えていたことがわかったのです。そして、この考えがあるから、新しいことに挑戦しようとしても「母が喜ぶことだろうか」「母を悲しませることではないだろうか」と無意識に考えてしまっていたのです。これでは、新しいことに挑戦したり、本当に自分がやりたいことをやっていくことは到底できません。
最初に書いた「失敗」がイヤだと思う、その気持ちさえ、本来の自分の感覚ではなく、「母」に合わせて感じているように思っていただけでした。霊的にいえば、この世界には経験をしに来ているのだから「失敗」などひとつもないし、すべては経験として自分の糧になっていくものです。どんな出来事もあとからみれば意味が変わっていくように、小さな視点で「失敗」を定義することはできないはずです。挑戦による「失敗」が怖くなったら「これってわたしの感覚?」と疑ってみましょう。心の深いところではそれほど怖いと感じていないはずです。だって、すべては経験ですから。あなたは、それをしたいと思って、やろうとしているだけです。楽しくやればいいだけです!あなたの人生に失敗なんてない!
『Hieronymus Bosch TAROT』 by Travis McHenry
陰陽五行による解説
「失敗」の感覚は、ひとによって違います。つまり、その考え方は個人的な小さな枠で感じていることにすぎないのです。陰陽五行では、この個人の「枠」は「土」の象徴です。「土」は「育てるが、腐らせる」という性質をもっており、花壇のイメージです。また「親」も「土」に象徴されます(特に「母親」)。「母親」は子供の成長に不可欠ですが、ずっと一緒にいることは子供を「腐らせる」ことにつながってしまうというわけです。
今回の「失敗」とは、この「(母)親」の枠からはみ出した部分のことです。子供の行動で「親」が理解できないところがあると、親は叱ります。そうやって「枠」からはみ出ないようにすることで「失敗」を防ごうとしているわけです。しかし、子供にとってそれは「失敗」ではないし、実践していくなかであらわれたひとつの経験にすぎません。そのため、それを「失敗」といわれてしまうと、新しい経験すること自体が怖くなり、挑戦することすらできなくなっていきます。
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