自分を生贄に、アイツを召喚ッ!

オラクルメッセージ

「他人のために、自分を犠牲にすること」は、とても美しいことで、そうやって自分が犠牲になればなるほど、まわりが幸せになって、そして、そのうち自分も報われると思っていました。中学校の遠足の班決めでは、自分が余りものになるように、他の人がグループを作るまで黙ってみているだけで、自分にとって、まったく面白味のない(当時のグループのひと、ごめんなさい!)班になってしまって半泣きになったのを覚えています。汚れ仕事を引き受けていれば、どこかで誰かが見てくれていて、いつかそれに気づいて、いいことがあると信じて疑わなかったから、日直じゃなくても黒板を消して、掃除当番じゃなくても廊下の掃除を勝手にやっていたこともあります。

でも、そんなことを何年もやっていても、結局報われることはなく、それどころかいつのまにか邪魔者になって、嫌われ者になって、ただまわりが輝くために自分が犠牲になったというだけで終わっていきました。

自分を犠牲にすることは、自分の人生を生きないこと。自分を犠牲にしたところで、相手はそれに気がつくこともなく、ただ自分のことを淡々と進めていくだけです。人間の脳は自分のことしか考えられないから、それが普通なのです。自分を生贄にして、召喚されるのは、そんなわたしの自己犠牲を気がつきもせず、踏みにじる、自分勝手な相手です。でも、それが普通で、むしろわたしが自己犠牲をするから、わたしの世界にそんなモンスターを生み出してしまうのです。

だから、わたしは「自己犠牲はしない」。このわたしの脳を使って、ただ、自分のことを考えるだけ。それがわたしの脳の役割であって、他人のことを考える余裕なんてないんです。自分のことだけで精一杯。どんなに自分を犠牲にしたって、誰も喜ばせることはできません。自分を優先するからこそ、自分の輝きでまわりを照らすことができるんです。

『Whispers of Love Oracle』 by Angela Hartfield

陰陽五行による解説

「自己犠牲」をするとき、自分のことよりも相手のことを優先しようとしているわけですが、本来、人間の脳は自分のことしか考えられないので、ある種の現実逃避であるといえます。自分の目の前のことをみないで、相手のことを考えている=「現実逃避」であり、これは陰陽五行では「木」に象徴される状態です。「木」は「思い」の世界であり、これが元になって「現実」が作られていくので、わたしが「自己犠牲」してツラい思いをした瞬間に、ツラい「現実」につながっていくという循環が生まれてしまいます。これを断ち切るためには、自己犠牲をやめて、自分のために生きることを選びとっていくしかありません。

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